世界でいちばん小さな革命

恋は二人じゃなきゃはじまらない。

いっぽんのけやきから

 うまくまとまらないけれど、すこしまとまった文章を書いたので投稿します。投降です。欅坂46の思い出。永遠のてちに、捧ぐ。

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 先日、欅坂46のてち(平手友梨奈さん)が”脱退”することを発表しました。私の感覚だと、アイドルとしてやり切った"卒業"とアシンメトリックな言葉としては想い半ばにして卒業できなかった”中退”のほうが"脱退"よりも遥かにしっくりくると思うのですが。この”脱退”というあまり例を見ないこの表現も、多くのファンのあいだで話題になり、SNSやネットニュースを騒がせました。ほかのアイドルたちが通常使う”卒業”ではなくて”脱退”という言葉を選んだのにもてちなりの想いがあったんだろうなと推測しますが、いくら深読みしても私たちが彼女の感じた想いに辿りつくことはないでしょう。9作連続で人気アイドルグループのセンターという大役を果たし続けてきたエースなき後のグループはどうなっていくんだろう。これまでのような存在感を示し続けることができるのか、それとも全く違う方向に舵を切っていくのか?少なくとも、私にとって欅坂46とは平手友梨奈であり、平手友梨奈のことでしかなかったから、てちのいない欅坂46を追うことは永遠にないと思います。私にとっての乃木坂が西野七瀬だったにもかかわらず乃木坂46が今でも私のあこがれであり続けているけれど。(欅は共感、乃木坂はあこがれ!です)

 私も乃木坂46のファンで握手会とライブの常連でしたけど、欅はライブに一度だけ参戦したことがあります。2017年の夏だから、もう2年半くらい前のことですね。欅自体は「サイマジョ」が発表される前から「けやかけ」を見ていたので、ファンとしては古参となるかもしれません。最近でこそ稀なことだけれど当時のてちは毎週番組に登場していて、箸が転んでもおかしい年頃という感じでけらけら笑っているのが印象的でした。私が唯一参加した欅のライブは朱鷺センターで行われたアルバム発売記念の「真っ白なものは汚したくなる」ツアーの新潟公演で、その夏は休暇を10日くらいとって山形県鶴岡市のくらげで有名な水族館に行った後、新潟に立ち寄って参戦したのでした。改めて自分でキーボードをたたいてみると、クレイジー極まりないアルバムタイトル、ツアータイトルですね。その「真っ白なものは汚したくなる」ツアーですが、その当時はまだまだSOLD OUTにならず、ファンクラブ未加入でもふつうにチケットがとれました。私が参戦した新潟公演は1日限りだったけれど、当日券も販売されていたようです。私もたまたまスケジュールがあったから一般販売でチケットを購入して参戦したのですが、チケット争奪戦が激化する昨今を思うと、いい時代でした。その公演では紅白で再演した「不協和音」はやらなかったと記憶しています。その当時からてちは体調不良で欠席することが多くなってきていたから、いま思えばてちがパフォーマンスするコンサートに参戦できただけもラッキーでしたね。当時はねるちゃんもまだグループにいて、気球のカートに乗って間近に来てくれたことを覚えています。

 コンサートの前々日、私は鶴岡でくらげを堪能したあと(くらげラーメンが食べられるのです)、鶴岡からバスで新潟に移動しました。新潟駅の近くのカプセルホテルにチェックインし、行きつけの蕎麦屋でへぎ蕎麦を食べ、夜はご当地ビールと日本酒を堪能し、〆のラーメンを食べました。以前より何度も訪れており新潟市には土地勘がだいぶありまして、訪れたら毎回行く店もいくつかあります。新しいところを開拓する、というのも愉しみですが、訪れたら必ず立ち寄るお店がある、というのもなかなか悪くないものだと思っています。新潟といえば、いまは悪評しかないNGT48も当時は良いグループでした、たぶん。「青春時計」のPVでも登場するバスセンターのカレーも何回か食べにいったことがあります。安くて美味しくておすすめです。新潟についた翌日、のんびり昼前に起きてチェックアウトし、その日に宿泊する古町の民泊を尋ねました。古民家を一部改装した、外国のひとからみたらなかなか趣があるようなところでした。古町は私が初めて訪れたころから、時間が止まっているのではないか。と思うくらいに何も変わっていないように思えました。変わらないものなどなくって、ゆっくりと変わっていく風景にただ私が気付けないだけなのですが。

 エニウェイ、熱狂的なコンサートが終わったあとに、二日続けて行きつけの蕎麦屋で蕎麦を食べたあとに宿泊先の古民家に戻ると、居間でオーナーの女性ともっさりしたイケメン未遂のアラサー君と、大学生くらいの年頃のどんぐりみたいな頭の男の子とアラレちゃんみたいなメガネの女の子が談笑しており、オーナーに声を掛けられて私もそこに加わったのでした。話を聞けば彼らも今日が初対面で、欅新潟公演に参加してきたとのことでした。イケメン未遂は欅の振り付けを自力で覚えたといって踊り出すし、どんぐりは台湾、アラレちゃんは上海からはるばるやってきた、とのことで、みんな欅坂46という共通の話題とすこしのお酒があって、国境を越えた欅トークは夜更けまで盛り上がり、最後は居間にてみんなでごろ寝して朝を迎えたのでした。私はふだん坂道ファンであることを隠しており、友人とも会社の同僚にもオープンにしていなかったのですが、その時にねるの個人PVがおもしろい、とか、先週のけやかけの話、とか、PVや歌詞の深読み、とか、振り付けの真似とかそういうことを話したりしたのは初めてで、非常に愉しかった。特にてちのパフォーマンスの魅力についてはみんな饒舌に語り共感しあえたのでした。この時の同じ趣味を持つ仲間意識、というのは個人的には大きな体験でした。

 てちの魅力については秋元康が語っているとおりだと思います。慧眼というほかにありません。

センターの平手が注目を集めていますが、確かに彼女はすごいと思います。この40数年間スターと呼ばれる人たちを見ていると、結局深読みされるのがスターなんですね。素顔の平手は普通の15歳かもしれないけれど、彼女の『サイレントマジョリティー』でのあの眼力とか、あるいは髪がバサッとかかったときに払わずにそのままカメラを見つめる感じとかが、オーディエンスの想像をかきたてる。つまり、すべてのエンタテインメントは受け手の想像で完成するんです。そしてクリエイターも平手という素材を使って、想像をさらに増幅させようとする。そういう魅力があるんだと思います。
秋元康が明かす 欅坂46と乃木坂46が向かう先 )

 皆に”脱退ってどういうこと?”と考えさせそれぞれに語らせる。最後の最後まで謎に包まれながら他者の想像力をかきたて続けたのはてちがてちでありカリスマと称されてきたことの証左に他なりません。私たちはミステリーを読み解くように、メディアからわずかに発信されるてちの情報や写真や映像をみては想像力を働かせます。私たちはその解釈の過程で少なからず自らを投影し、てちを語ることで無意識に自らを表現していました。秋元康は別のインタビューで最強のアイドルについても語っています。

秋元:「語りたくなるアイドル」が、最強のアイドルだと思います。例えば、ワインって、なぜこんなに世界中の人から愛されているのか、疑問に思ったことがありました。ワインって“語りたくなるお酒”なんですよ。「これは何年物で、産地がここで、作り手がどうだ」と語るポイントがたくさんある。そのようなことが、廃れずにずっと人気であり続けている理由だと思います。
1つのアイドルグループを目撃した人が「このアイドルのデビューはこうで、メンバーはそれぞれこういうルーツを持っていて、メンバーがチェンジして……」といった経緯を覚えていて、新しくそのアイドルを知った人に語れることが、最強のアイドルだと僕は考えています。
秋元康が考える“最強のアイドル”とは? )

 女性をワインに例えてしまうあたりが彼が女性蔑視だと非難を受ける所以なのですが。。。てちを知ったひとはてちのことを語りたくなる、ゆえにてちは”最強のアイドル”である/だった、と私は思います。(そして人格は最低かもしれませんが、秋元康は最強のプロデューサー/クリエイターだと思います。)

 私の一番好きな欅坂46の曲は有名な「サイレントマジョリティー」でも「不協和音」でもありません。笑顔を封印したといわれる彼女たちが笑顔で歌って踊る「風に吹かれても」が、同曲が発表されて以来の私のフェイバリットで、普段は笑わないことで有名な少女たちが男装をしてはじけるような笑顔でなるようになるさ、ケセラセラ、というような歌詞を歌う、というこの曲は今後も欅のなかでのベストMVですし、これら先もきっとそう在り続けるだろうと思います。圧倒的な存在感と神秘性を放ち続けてきたてちがもう二度とセンターに立つその曲を観られないことを私は大変残念に思います。